アパート建築営業マンが不動産投資してみた

不動産王になる(はずの)ストーリー✨

✎私が不動産投資を志したきっかけ④(プラトーン)✎

ウイグル獄長は実在する。


無事希望のアパート営業部門に配属されましたが、そのブラックぶりは私の想像を軽く超えてきました。

 

まず入社一か月後のゴールデンウィーク。通常は緊張続きの研修が終わってリフレッシュのはずですが、全日出勤でした。休み無しw

 

私の配属された支店の支店長は始終大声を張り上げてるウイグル獄長みたいな奴で好き放題やってましたね。まあ、当時はパワハラなんて言葉なかったですからね。

 

朝から晩まで住宅地図を見ながら電話営業です。ノルマは1日200件。朝9時から夜9時まで電話をして電話が終わったら翌日電話する先の番号を調べて家路につくのは12時。

 

当時はオレオレ詐欺なんてなかったので電話営業でも割と話を聞いてもらえたのです。いきなり電話を切られるなんてのも10件に1件くらいしかなかったです。今じゃ考えられないですよね。

 

週に2件くらいのアポイントを取得して上司に同行してもらいます。そこから月に1~2件がプレゼンとなります。プレゼンとはお客さんにアパート建築のプランや事業計画を提示することです。つまり、とりあえず提案ぐらいは聞いてみようかなって思って貰えたってことですね。そして、4件くらいプレゼンをすると1件の契約ができます。

 

当時は建築費が安く木造2階で1K10世帯だと5,000万円くらいでした。そのため埼玉でも利回り12%くらいの提案をしていたので、件数さえこなせば契約はできたのです。

 

不動産投資の勉強のためと思って始めた仕事でしたが、実際は集客に必死で自分の投資のことを考える余裕なんて全くなかったです。

 

でも、仕事自体は好きでしたし電話営業や飛込み営業もそんなに苦手ではなかったです。電話や飛込みが苦痛だと続かなかったと思います。

 

実際75人同期入社がいる中で半分が夏休みまでに辞めていきました。1年後に残ったのが20人くらい。13年後に転職するときには同期は5人でした。毎週同期が消えていく職場。

 

プラトーンってベトナム戦争の映画知ってますか?オリバーストーン監督の。たしかオスカー獲ってたと思います。いつ死ぬかわからない前線で疲弊していく兵士たち。ケガをした兵士だけは帰国することができますが、戦える者は前線に残らなければなりません。そんな気分。

 

 

その後なんだかんだありながらも集客は必死でやった甲斐があり9月に初契約を取得することになります。

 

つづく