アパート建築営業マンが不動産投資してみた

不動産王になる(はずの)ストーリー✨

✎投資に役立つ本を実際に読んでみよう⑥(ユダヤ商法3⃣)✎

メリークリスマス。といっても特に何もないんですがね。今日仕事だし。

 

さて、「ユダヤ商法」の続きですね。

 

ユダヤ商法

ユダヤ商法

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②好機をとらえろ

 

この章ではビジネスで成功したユダヤ人についての実例が書かれています。まあ、枚挙に暇がないですが、貝のマークで有名なシェル石油のマーカス・サミュエルは日本とも縁がある成功者の一人です。

 

マーカスは11人兄弟の10番目。1872年、19歳の時に父親から一家の商売に役立つことを学んで来いと言われて、世界一周の旅に向けてロンドンを出発します。

 

沢山の国々を回った最後の寄港地が横浜でした。その時の彼の所持金は5ポンド(現在の5万円)だけ。明治初期の日本には外国人はほぼいない時代。

 

彼は湘南の海岸で不思議な光景を目にします。潮の引いた海岸で貝を拾っている住民です。そして、中身を食べた後の貝殻を捨てているのを見て、その貝を使った装飾品を輸出するビジネスを思いつきます。

 

貿易によって知識と資金を蓄えた彼はロシアから世界に石油を輸送するビジネスを始めます。それまで5ガロンを縄でつないで船で運んでいたため大変手間でした。そこでマーカスが思いついたのが、船自体をタンクにする、つまりタンカーを世界で初めて建造します。その際日本での貝のビジネスから第一号船に「ミュレックス(アッキ貝)」と名付けます。

 

世界の石油消費の急増も追い風となり、ビジネスはどんどん拡大していきます。彼が会社を売却したのちに社名は「ロイヤル・ダッチ・シェル」に改められます。

 

成功の規模の違いこそあれ、どのユダヤ商人の成功の物語についても共通する典型的なものである。いくら激しい変化によって弄ばれても、自らを失うことも、挫折によって屈することもなく、かえって変化のなかから好機をつかみ、挫折を跳躍するばねとして用いたものであった。(P90)

ユダヤ商人は自らの個性や伝統文化を失うことなく、遠く離れた土地や新しい土地に速やかに、柔軟に適応しなければならなかった。というよりも、異郷で才覚を存分にまで発揮し、もてる知力をふりしぼって最善をつくして働くほかなかった。(P92)

 

我々日本人も戦争や災害によってゼロから再スタートを強いられた人は沢山います。しかし、日本人は国を追われたことはありません。想像してみてください。築いたものを全て失ってしまうのです。それも何度も。

 

このブログを読んでくれている方は投資に興味がある方が多いと思います。貯めた資産を失っても再チャレンジする気力がありますか。1度ならともかく、2度、3度となったら私は諦めますね。

 

自分の国を持つことができず苦難の歴史を歩んできたことでユダヤ人は何度でもゼロから再出発する力を身に着けていったのです。

 

つづく